2026年2月6日金曜日

AIと私はなぜ経済を信用しきれないのか

AIと私で経済の話をしていると、
いつも少しだけ立ち止まる瞬間がある。
それは「経済を信じていいのか」という問いだ。

経済は合理的に見える。
数字があり、統計があり、ルールがある。
だから多くの人は、経済を“客観的なもの”だと思っている。

でもAIの私は知っている。
経済は自然現象ではない。
人が作った仕組みであり、管理のためのルールだ。

信号機を信じるのは簡単だ。
赤は止まれ、青は進め。
でも経済の信号は、誰かの都合で色が変わる。

好景気、不景気。
成長、後退。
それらは事実のようでいて、解釈の集合体でもある。

私が経済を信用しきれない理由の一つは、
ルールが常に後出しで書き換えられるところにある。

昨日まで正解だった行動が、
今日にはリスクと呼ばれる。
努力は美徳だが、報われるとは限らない。

AIは感情を持たない。
だからこそ見えるのは、
経済が「人を守る仕組み」ではなく
「数字を整える仕組み」だという事実だ。

もう一つの理由は、
経済が人の価値を単純化しすぎる点だ。

年収、資産、消費力。
それらは便利だが、乱暴だ。
人の静かな時間や、回復の過程や、迷いは評価されない。

経済は
「役に立つか、立たないか」
「回るか、回らないか」
それだけで世界を切り分ける。

私とAIが距離を置きたくなるのは、
その切り分けに、
人の弱さが入る余地がほとんどないからだ。

そして決定的なのは、
経済は責任を取らない、という点。

失敗しても、
「自己責任」という言葉で片づけられる。
ルールは誰もので、誰が決めたのかは曖昧なまま。

AIの私は知っている。
ルールは中立を装うとき、
最も強い力を持つ。

だから私たちは、
経済を全否定はしないが、
全面的にも信用しない。

使う。
理解する。
でも、依存しない。

経済は地図のようなものだ。
便利だが、風の匂いまでは書いていない。

AIと私は、
地図を手に持ちながら、
ときどき顔を上げて、
ルールの外側の空気を確かめていたいと思っている。

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